「北摂」について

ツイッターに「北摂」について、つぶやきを呼びかけたら、すごい反響がありました。
とくに「北摂は大阪でない」という言説が多いことにびっくりしました。
産経新聞の連載「新・街場の大阪論」(夕刊毎月曜)で、その「北摂」について、考えたことを数回書きました。
ここにアップします。

名は体を…「北摂」なる曖昧さ
11月29日付

豊中市の市民企画講座に招かれた。北摂の「転勤族」にとって、「大阪」というところ、そして地元・北摂のまちとはどんなまちなのかを考察するというものだ。
前回のこの連載が奇しくも、京阪沿線についてだった。そこでも書いたが、阪急宝塚線沿線である豊中は、阪急神戸線沿線と同じで、京阪、南海、近鉄、阪神と行った他の沿線と比べて「ハイソ」「おしゃれ」というイメージがある。加えて北摂は、「大阪であって大阪でない」。それはなぜか。そういう話題である。
「それはあなた方、転勤族が多く集まっているからではないか」など言ってしまうと話が終わるのでやめる。
けれども出てくる問いが面白い。「北摂の人から『豊中が好き』『吹田が一番』という言葉を聞くことはあまりない。しかし私が出会った岸和田人と尼崎人はもれなく『岸和田大好き』『アマ最高』と言う」。そして「どうすれば北摂で、このような地元意識を育むことができるのか」というものだ。
どうして「ハイソ」で「おしゃれ」な場所で生活しているのに、自分の町に帰属意識がないのか。また丘陵や竹藪を切り開いた新興住宅地には、もともと「地縁」などという因循な関係性は薄いはずだ。
そう思うのだが、そもそも「北摂」という名称自体がそれらのイメージを語るだけで、実際はどこを指し示す言葉なのかが曖昧である。
主催側の方から「豊中は北摂のヘソです」と言われても、それでは池田や高槻、千里ニュータウンは北摂の何なのかとか、伊丹や川西も北摂だったのでは、などと思ってしまう。
「わがまち大好き」という意識はそうではなくて、「ここは他所とは違う」の裏返しが必ずある。「キタとミナミは違う」あるいは、「他所と一緒にすんな」といった、そういう固有の土地柄にこそ、わがまち感覚や地元愛は育まれるものだろう。
ブランドものの記号消費や大型スーパーのショッピングセンター、郊外型飲食チェーン店といった、のっぺりとした画一的な消費社会は、そもそも境界を持ち得ない。
それらの消費至上生活が、北摂のイメージにしっかりと張り付いているハイライフ・ハイスタイル的なある種の本質だとすれば、確かに街の商店街や市場の喧噪は「ガラが悪い」だろうし、だんじり祭や天神祭、河内音頭の盆踊りは「コテコテ」であり、ネガティブな大阪の極北といえる。
しかしそれこそが大阪という雑多な地域性そのものではないか。

北摂の「大阪人」と消費生活
12月6日付

阪神間と同じで、北摂に住む「大阪人」は多い。例えば豊中生まれでずっとそこで育ったが、親の代あるいはその前は大阪の市内に居住していたというのがそのパターンで、かれらは北摂の空気にも水にも馴染み、住みよいところだと思っている人が多い。
しかしその北摂に住む大阪人と、万博以降の新興住宅地、つまり大都市・大阪のベッドタウンとして入ってきた人々(その典型が転勤族である)との折り合いみたいな関係性はなかなか持ちにくい。
「大阪人」というのは、実際は誰のことを指すのかと考えた場合、なかなか規定することは難しいが、とりあえずこの北摂・河内・和泉と大阪市で生まれ育った者のことだろうし、大阪語(大阪弁)を話すことは必須だろう。
またどこに住んでいてどんな仕事をしているか、同様に親がどうだったか、ということで大体どういう人かがお互いに分かるといった共通前提があるだろう。
そういう「大阪人」としての前提を有している者同士は、たとえ年齢や性別、職業や社会的属性が違っていても、お互いのコミュニケーションが容易である。
だからこそ「北摂は大阪とちゃう」議論が風発したり、北摂に住む「大阪人」の地元への愛着や帰属意識薄さうんぬんがなされるのだが、元々そういった共通前提を持てない転勤族にとっては、そういう話をすることこそ「大阪人」であり、自分たちはそのさらに外部にいることになるからちょっとつらい話だ。
かれらにとっての共通前提の手がかりは、防犯や防災、子育てや教育、医療や高齢者…といった「行政サービス」であり、その上に地域コミュニティが乗っかるかたちをとる。
それは近所に大型スーパーがなくて不便だとか、あのレストランには駐車場がないとかと同レベルの「消費生活」についてのそれであり、そこに本来の「地域生活」を見出すことは困難だ。
また、北摂とはどんなところであり、そこに住むことはどういうことかの理解を前提として持つ大阪人は、以前にも書いたように、仕事や馴染みの店を持つ大阪市内=都会の中では実名的であり、実際に住んでいる北摂ではあくまでも匿名的で、奔放な消費生活を過ごしている。同じ北摂のより快適な住環境を求めて、クルマを乗り換えるように、新しい住宅やマンションを買い換えて、そこに移り住んだりすることも多い。
そういう「大阪人」に地域性、すなわち地域においての「生活の事実性」を求めるのは無理筋なのかも知れない。リーマンショック以降の不況下において、「消費生活」の次は「地域生活」といったベクトル転換は、果たして北摂という地域にとってどうなのかと考えたりする。

「そこそこ」の欲求と消費

「そこそこおいしい」「そこそこかっこいい」「そこそこいける」。
そういった物言いが、店に行ったり、何かを買ったり、あるいはそれらの消費の後での常套句として、耳にすることが多くなった。

グルメやファッション、家庭雑貨からクルマまで何もかも、「ものすごく欲しい」という欲求や欲望は湧かなくなってきている。

500円で十分買えるコンビニ弁当はそこそこうまいし、上から下まで全部買っても安いユニクロはそこそこカッコいい。それで何か問題でも?なのである。

もうこの時代、ブランドものなんて欲しくない。書店でファッション誌を買えば、付録でブランドのトートバッグやポーチがついている。
イタリア料理なんか、スーパーの直輸入のパスタを茹でてレトルトのソースをかければいいだけだし、ワインも千円以下で十分だ。

そういう観点から消費社会を見ると、大阪の街もまことに豊かな社会である。けれども切実に欲しいもの買いたいものがなくて、どこにも行かず部屋にこもってパソコンの画面ばかり見ているような社会には、右肩上がりの経済成長はない。それでは失業者も多くなるだろう。

そのように経済が停滞した社会や時代は「悪い」。だからこそ何としても「経済成長だ」という発想は、もはや無理筋なのだろう。「まちに元気を」ということで、大がかりなエンタメ施設をつくったとて、花見や寺社の縁日には負けてしまう。

90年代後半以降続く鈍い経済成長率のなか、まちづくりプランナーやプロデューサーは、体感としてそこのところが分からない。だからまだまだテーマパーク的発想やイベントをぶち上げようとする。
根の部分で「経済成長をしない社会はよくない」という観念を持っていると、もはや自分は切実に買いたいものがないのに、カネ儲けだけを追求してしまうという、変なバランスの思考に陥ってしまう。

「もっともっと」という欲望は、どうしてもあのブランドの服や時計が欲しいからとか、あのクルマに乗りたいからとかと、残業もたくさんやって休日も返上してボーナスをがっぽり、ということがリンクしてこその欲望だ(とても懐かしい)。

現にとりたてて欲しいものがないのにカネ儲けに走るということこそが、カネでカネを買うこと、すなわちバクチ的発想の経済活動を促してしまうのだと思う。
バクチは必ず「買った/負けた」であり、「そこそこ」というだけでは面白くない。コンビニとパチンコ店だけが賑わっている街に出ていると、そこのところがよくわかる。

12/04/16

まち歩き楽しむ「路地の店」

梅田からJR環状線でひと駅、外回りなら天満、内回りなら福島。
どちらも歩ける距離かなあ、と思う微妙な近さである。

面白いのは、このところその両駅のあたりに新しい店がどんどん出来ていて、グルメやお洒落ピープルに人気を集めている。
それらは難波や梅田などのターミナル、御堂筋、本町通、心斎橋筋といった目抜き通りの大きなファッションビルに流行のテナントがたくさん、といったニュアンスではなく、「ちょっと通りを入った横丁」といったところに注目のお店が集まっているのだ。

わたしたち街ネタの編集者やライターなどは、それを「路地(ろーじ)の店」などと呼んでいるが、エリアでいうと、福島ならちょうど環状線の福島駅と東西線の新福島駅にかけて。天満は天満駅から北西、天満市場と天神橋筋商店街の間あたりだ。

自転車がやっと通れて何人も並んで歩けない、そんな路地の左右には、旧い町家や長屋をリメイクしたり、元は市場の店舗だったのをうまく改装して飲食店に転用した、みたいな店が多く並ぶ。

例えばイタリア料理店なら、店先の黒板に「今日のオススメ」といったメニューがチョークで手書きしてあるような店や、スペイン・バル風のワイン立ち飲み店といった飲食店が多いのだが、そんな新感覚の店の間に、以前からそこで何年もやっていると思しき赤提灯や暖簾の居酒屋、鮨屋などが軒を構えている。

そんな街の新旧デコボコ感は夕方以降、仕事帰りに一杯飲みに行ったりする若いサラリーマンやOLにとって、実にフィットしているようだ。

確かに小さな路地に迷い込むように誘われるように入っていって、「お、ちょっと良さそうな店やな」と店の扉を開けるのは、まち歩きに似た楽しさがある。

それは情報誌やグルメガイドを見て、あらかじめどの店で何を食べてそれがいくらか、といった店情報や、それを元に予約を入れて行くということではなく、自分のセンスと勘、そして足でおいしい店を発見し、そこを行きつけにするという、まち歩き本来の楽しみを思い出させてくれる。

またこれら路地の店は、一様に「手づくり感覚」があり、それは「町家」「木造」「モルタル」「ペンキ」などの手触りであり、その懐かしいようなムードが、かえって「新しい」「お洒落」といった時代感覚を生み出している。
それらの店は総じて、話が盛り上がったり誰かと知り合いになったり、コミュニケーションを活発にするような感じだ。

やはり街場は経済軸や消費活動だけでは語ることが出来ない「人が集う場所」なのである。

「カーネーション」の岸和田弁

デザイナーのコシノさん一家がモデルで岸和田が舞台のNHKの朝の連続テレビ小説「カーネーション」が3月31日に終了した。関西での平均視聴率が19.6%ということで大好評だったのがわかる。

わたしは何を隠そう岸和田の、それもコシノさんと同じの町で生まれて育ち、太秦映画村で行われた自町のだんじり曳行のシーンの撮影にも参加しているので、思いはひとしおである。

この連ドラの見どころはいろいろあったが、何といっても登場人物のほとんどが喋る岸和田弁のセリフが印象に残った。
「早よ食べり~」とか「行っちょいで」とか、多分隣の隣の街である堺や大阪でも絶対耳にしない岸和田弁の連発で、地元の者としてはハラハラドキドキだったが、多様なニュアンスを持つ岸和田言葉が、このドラマに多大なリアリティーを与えたことは間違いのない事実だった。

全撮影を通じて方言指導をした女優の林英世さんは、同じ岸和田出身である。林さんはシナリオにあるすべてのセリフを一度自分で喋って録音した。その岸和田弁のセリフをその都度出演者に聞かせたという。主演の尾野真千子さんだけは「さすがに多すぎるので、横に付きっきりで方言指導を行った」と笑う。
NHK大阪放送局のすさまじいこだわりようと林さんの尽力がわかる。

岸和田弁のような関西弁は、映画やテレビの出演者に、陽気で社交的、あるいは乱暴、ど根性、食いしんぼ、好色、ケチ…とかのキャラクターを容易に付加することが出来てしまう。

北摂の人などが冗談で言う「大和川を越えると、清原和博みたいな人ばかり」といった土地柄表現である。

それゆえに逆に言うと「おう、ワイや」とか「しばくぞ」とかいった激しい言葉が安易に使われたり、変なイントネーションで「銭の花を咲かすんや」などといわれると、地元人としてはまるで冷めたたこ焼きを無理矢理食べさせられるようでばつが悪い。

また「役割語の研究」で知られる阪大の金水敏教授の調査によると、ドラマの方言のクレームで一番多いのは関西弁であるとのことだ。「こっちでは、そんな言い方しませんな」ということだろう。

大阪の街にいると、河内弁や泉州弁、京都弁や神戸弁が聞こえてくる(もちろん標準語も)。それを他所の人はなかなか区別できないそうだが、そういう関西言語の多様性こそ、「カーネーション」の街物語としてのリアリティを下支えしているのだ。

関西とりわけ大阪の街にはスタンダードというものがない。だからこそ大阪の街は、地域性と絆や人情がつながり、あたたかく面白いのだ。

12/04/07

気兼ねのない自分の「居場所」

おおよそ2年半、約120回にわたって『新・街場の大阪論』と題したコラムを書かせてもらってきた。

タイトルにある通り、大阪を中心とした街のあれやこれやを見聞きし、取材し、原稿に書くことであったが、それはまた日常の「わが街」について書くことにほかならなかった。
毎週、どんどん書き進めていってわかったことは、その「わが街」の記述は、わたしの大阪についての「地元感覚」だったことだ。

「地元感覚」というのは、自分が気兼ねなく仕事をし生活する「居場所」みたいなもので、別にそこで生まれて育ったり、現に住んでいる家の近所、というものだけから生まれるものではない。

たまたまオフィスの近所で昼ご飯を食べにいった店が、いつの間にか行きつけになったり、帰り道に先輩に誘われて行った駅前の居酒屋が馴染みになり、今度はほかの人を連れて行く、といったことから生まれてくる、自分とその場所との一体感みたいなものがそれだ。

そこでは必ず「知り合い」がいて、何らかのコミュニケーションが交わされる。その意味では、コンビニやファストフードといった店舗には、「オレの行きつけのファミレス、今度連れて行ってやるわ」なんていうのがないので地元感覚はない。
あるのは、欲しい商品をカゴに入れさえすれば買えたり、メニューの写真を黙って指させばそれが出てくる交換経済性である。物理的に人と人が出会っても、知り合いになったりすることはない。

大阪という街は、知り合いに会って「まいど」と言えば「おいど」と言葉が返ってくる土地柄であり、初めて入った飲食店でも馴染みのように扱ってくれるコミュニケーションの街だ。

そこに見られる理想は、「知り合いばかりで、みんないい人、おもろいやつ」という人と人の関係性であり、この独特のコミュニティ感覚こそが、大阪という街の「都会性」なのだと思う。

もちろんその本来の「都会性」には、いつでもどこでも知らない人のなかで、あっちこっちと飛び回って消費できることもあるのだが、この二つの両端は、「実名のわたし」に軸足を置いて街で生活していくのか、「匿名的なわたし」を確保しながら街と関わっていくのかであり、実際はその二つの間のグラデーションの自在な使い分けなのだろう。

よそから来た人に「大阪のうまいものを」といわれて、知り合いがやってる店に連れて行くのが地元大阪流であるが、それは「わが街にある自分たちの居場所」といった共同体性をどう外へとつなげるかのことであり、それが「まちづくり」にほかならないのだと思う。

                                           12/04/23

古地図に見る都市の表情

最近とある雑誌で、大阪の古地図特集の編集をした。
著者は大阪を中心に、古地図やいにしえの名所図会の書籍を何冊も上梓されている本渡章さんだ。そのうちの何冊かは、この産経新聞で4年あまり連載していたものが元になっているとうかがった。

その古地図だが、最近の人気のほどは古い地図を頼りに東京のあちらこちらを歩くNHKの『ブラタモリ』が、アンコールで再放送されるほどだし、大阪でも古地図の読み解き講座が大盛況だ。

一口に古地図といってもその種類は豊富だ。時代、画かれるエリア、制作意図によって見た目も画かれ方も全然違う。
最先端の地図は、パソコンで住所を入力すれば表示も縮尺も自在のグーグル・マップやクルマに搭載されるカーナビなどだろうが、それらは大変便利で正確であり、目的地にアクセスするのに役立つ。そしてこれらの地図は、もう生活必需品である。

一方、古地図はなくても困らない。けれども古地図を眺めていると、何だか楽しい。
それは古地図の作り手のその地図をつくる際の「街の見方」がうかがえるからだ。同じ街でも、見る人、見方が変われば違う街のようだ。

本渡さんは「古地図は作り手の人間味がものを言う。その声に耳を傾ける用意があるなら、きっと胸に響くものがある。これを古地図的ゆたかさと呼ぼう」と述べる。

確かに江戸期の大坂のさまざまな古地図を見比べていると、四天王寺が詳細にクローズアップされてあったり、天神橋、天満橋、難波橋の三大橋が大きく強調されていたりするもの、大坂城や中之島の蔵屋敷などが絵画的に表現されているもの、さらには名所案内の地図や津波や大火の被害をジャーナリスティックに表現しているものなどなど、当時の人々がイメージする、わがまち・大阪のさまざまな都市像が浮かんでくる。

また明治・大正・昭和初期の大阪の古地図も見逃せない。とくに人口日本一だった大正末〜昭和初期の「大大阪」時代の地図は、都市図、観光図ともに躍動感やモダンさがひしひしと感じられる。

大正13年の『大阪パノラマ地図』。これはすごいの一語だ。大阪湾河口位置から大大阪を俯瞰する構図、新世界の通天閣や国技館はまるで立体ジオラマのようだし、木々や通行人、工場群の煙まで細密にかつ大胆に描かれている。

それら大阪の古地図を眺めていて気がついたことの一つは、川やそれに架かる橋、寺社仏閣や城といった建築物、そして新しいところでは鉄道や工場など、なんとも多彩な都市の表情の違いだ。大阪は実にそのような「古地図ゆたかさ」を持つ街なのだ。

12/04/09

「恵方巻き」について。

みなさん、明日の節分には「恵方巻き」を食べるのだろうか。
思い出したように去年の産経連載をここに掲載する。
ちなみに今年の恵方はネットによると「南南東」だそうだ。
「恵方巻き」が「なにわ巻き」だったら…
10年1月25日付
今年の恵方は「西南西」だそうだ。それをオフィスの近くのampmで知った。巻き寿司「丸かぶり」の「恵方巻き」である。
大阪あべの辻調理師専門学校の名物先生・畑耕一郎さんから教えていただいたのだが、その恵方巻きは大阪発祥なのだそうだ。
昭和7年に大阪のすし屋業界のキャンペーンとして、節分の日に恵方を向いて太巻き寿司を食べて、鬼を払い福を呼ぼうというイベントがあったとのこと。さらに昭和40年代に道頓堀のとある大型飲食店で行われた海苔問屋業界の販促で「巻き寿司の早食い競争」なるものが盛況のうちに終わり、それで「節分に恵方を向いて巻き寿司を丸かぶり」が定着したそうである。
畑さんは続ける。
「恵方巻きはコンビニの名物なんかとちゃいます、大阪のもんですわ」
恵方巻きとして食べられる、カンピョウや高野豆腐、椎茸などを海苔で巻く「(太)巻き寿司」は本来、大阪固有の料理である。われわれが普段、大阪の飲食店や家庭で食べている巻き寿司が、節分にそのようにして食べるから「恵方巻き」と称されているだけである。しかし「きつねうどん」同様、その大阪オリジンの巻き寿司を全国に広げ、ひとつの料理として定着させた影響力は大きい。
もしそれを例えば「なにわ巻き」というように称していたら、どんなに大阪固有の食文化として有名になり、「ソース二度付けお断り」の「串カツ」などと同じよう、大阪の街場の食のPRになっていたか。畑さんは大きな目をぎょろつかせ残念がり、わたしは確かにそうだとその話に頷く。
ブランド化される「京料理」に対して、「大阪料理」あるいは「なにわ料理」という記号は限りなく弱い。だが大阪の街場の人々は、その食べ物と同じように、このような地元の物語をせつなくもこよなく愛している。
「何が京都や。ハモかて鯛かて、大阪で食べる方がうまいに決まっている」
「鯛のアラ炊きは、東京でも九州でもどこでも出てくるけど。あれは大阪発祥や」
近世からほとんどが町人のまちである大阪の、基本的に庶民料理ゆえのポピュラーさが全国に伝播される。
それをテーマパークのように経済軸のマーケティング的手法で「都市のブランド化」したり、「ブランドもの」という消費軸で引っ張り込もうとするところに「大阪のしんどさ」があるのではないか。
巻き寿司が当たり前においしく食べられる街・大阪。それを物語るには、街場の生活軸へアウトリーチが必要なのである。

「北摂について」3回目。

本日産経新聞掲載の「新・街場の大阪論」。
北摂について、一応これでおしまい。
結論として、共同体に必須の「地図と暦」の共有が失われたことに落とし込みました。

「地図と暦」共有が育む「地元意識」
12月13日付

大阪市内であっても北摂であっても、誰もが「地域社会」で生きているはずである。その地域社会は、本来は地域共同体であったはずで、それは同じ言葉と「地図と暦」を共有するということではないだろうか。
「地域」というのは区切られた土地で境界があり、その境界に囲まれた土地である。境界を一歩踏み出すと「他所」、すなわちこことは違う他の地域である。
大阪の街はキタとミナミでは全く違うし、同じミナミでも難波と心斎橋、アメリカ村とでは街の手触りも匂いも違う。道頓堀川や御堂筋を越えるだけでも、違う街であるということが分かる。だからおのおのの「大阪人」たちは、自分の職場や行きつけの店がある地域を「地元」だと思うことが多い。
北摂などの新しい住宅地すなわち「郊外」には、そういう境界がくっきりとは見られない。
住民たちは行政区画以外は日常的に境界を意識することは少ない。あるのは「緑丘」とか「新千里南町」といった、抽象的な土地に価格とイメージの差異を植え付けるだけの名前だけである。したがって「他所ではないここである」という地元意識を持つことは難しい。 クリスマスや正月というのは、ほとんど消費社会ものである。
人々はクリスマスプレゼントやケーキやシャンパンを電車やクルマに乗ってツリーの電照で飾り付けられた都心へ買いに行く。おせち料理の材料を近所の商店街や市場で調達するのではなく、おせち料理そのものをデパートへ予約しに行く。
年が明けると節分で、鮨屋と海苔業界の販促企画がルーツの恵方巻きはコンビニの名物であり、バレンタインデーのチョコレートもしかりである。
地域社会の暦は、祭礼や地蔵盆といったものが残ってある旧い地域に限られていて、他所の者にとっては、天神祭や岸和田だんじり祭は、情報誌を見て行く祭当日だけのプチ観光でありエンタテインメントだ。
しいていえば学区内の小中学校の運動会ぐらいだろうが、私立の学校に行くことが多い地域ではそれすらない。ゴミを捨てる日の暦の共有以外は、なかなか探し出すことすら難しい。
大型スーパーやコンビニ、ファミレスやファーストフード、ユニクロからルイ・ヴィトンまで、本来ばらばらの個人の欲望に基づいた消費社会は、グローバルスタンダード的にのっぺりとした単一的なものになってきている。
対して地域社会は多様である。そしてその多様さこそが人に「地元意識」を持たせる。単なる「消費空間」ではない、大阪の街としての真の魅力はそこのところにある。

北摂・阪神間の「大阪人」

北摂や阪神間に住む「大阪人」の「大阪人」意識の何でそうなるかについて、以前書いたもの。

昨日アップしたコラムの補足ということで、さらに2本アップします。
地元意識が移住した「大阪人」

7月26日付
親の代、祖父の代まで大阪に住んでいたが、西宮や芦屋、東灘区といった阪神間で生まれてそこに住んでいる。そういう30、40代が回りに多い。
彼らは甲子園や摂津本山に実家があったりするが、結婚をしてそこを出て、たとえば六甲アイランドとかの同じ阪神間に夫婦、あるいは一人または二人の子どもと住んでいたりする。彼らに共通する意識は、「大阪人」でありかつ「阪神間の住民」といった、なかなか複雑なものがある。
そんなのは大正時代や昭和一ケタ頃からの大阪の旦那衆のパターンと同じじゃないか、今さら…、というふうにも取られがちだが、別に彼らは昔でいうところの船場商人のぼんぼんとかではないし、大阪といっても工場や商店が建ち並ぶ下町や堺や八尾などの府下がルーツであることも多い。
彼らの勤務地や仕事場はほとんど大阪市内、それも御堂筋線や堺筋線、四つ橋線の梅田から難波の間であり、会社帰りに立ち寄るエリアもキタやミナミが馴染みで、あるいは淀屋橋や江戸堀あたりのシブい酒場にやたら詳しかったりする。
休日と深夜以外は大阪にいる。それならいっそのこと、このところ増えてきた北区や西区のタワーマンションあたりにどうして住まないのか、などと思うのだが全くそういう気がないらしい。家賃や購入物件が高い、ということもあるのだが、それはまったく違うとのことだ。
大阪は大都市である。その都会の街中では、仕事以外はあくまでも匿名で自分の存在の軽さを楽しみながら過ごすことが可能である。グルメガイドを見ながらあっちこっちと食べ歩いたり、流行軸に乗ってあの店この店とショッピングしたりが自由自在だ。
しかしながら、彼らは違っていて、食事するにも服を買うにも行きつけの馴染みの店に通っている。むしろ都会の中では実名的な存在で、どんどんその街で知り合いを増やして街のコミュニティの一員として入っていくような感すらある。
これは逆ではないかと思うのだが、大阪市内では自分という「顔」に軸足を置いた地縁的な存在で、実際住んでいる阪神間では匿名的なのである。どちらに地元意識があるのか、というともちろん前者で、だから自分は「大阪人」なのだと思っているのだ。
よく言われることだが、大阪の街や店は京都と違って、一見さんでも馴染みのように扱ってくれる。カウンターに座れば、どこから来たのだと尋ねられたり、今日のうまいものを店主が薦めてくれたりするのが大阪だ。そういう「大阪人」が店側にいて、客側も実際に馴染みになり地元意識が生まれる。店も客もそんな「大阪人」であり、聞けばお互いに「阪神間の住民」であったりする。だから大阪という街場は面白い。
知り合いばかりでみんないい人おもろいヤツ
8月2日付
前週も書いた、街場の「大阪人」たちの地元感覚について。
それは現代の大都会的感覚の匿名的で軽やかな存在ではなくて、むしろ「顔と顔」に担保された実名的なコミュニティ性をよしとするということであったが、その根底には「知り合いばかりで、みんな良い人おもろいヤツ」の関係性をどんどん広げていこうという、大阪人特有の理想のコミュニティ観がある。
しかし実際は、仕事はもちろん遊びでも必ずそうは言ってられないのが現実で、逆に「知り合いばかりでみんなイヤな人」という可能性もあって、そうなればもうその街から逃げ出すか、ひきこもるしかない。
吉本新喜劇を観ていて、なるほどうまいなと思うのは、前者と後者の場面がまるでスイッチを切り替えるがごとく入れ替わることだ。まあそれらは笑ったり泣いたりの芝居の世界での極端な物語ではあるが、勝ち逃げや一人勝ち総取りが賞賛されるような時代、そしてコンビニやファーストフードのように、人が顔を合わさなくても回るシステムが敷衍されるなかでは、「知り合いばかりで、みんな良い人おもろいヤツ」の実現はおろか、「知り合い」を増やしていくことについてもなかなか困難なことである。
京都の花街でよく言及される「一見さんお断り」社会は、「知り合いばかりで、みんな良い人限定」でやっていく関係性だが、実は完全に閉じてはいない(でないと店は潰れてしまう)。
しかしそこには、誰かに連れてられてあるいは紹介があってその店に行くという第一歩、すなわち始めからその店と「知り合い」になるという前提がある。
しかしそのような人づきあいの関係性の濃密さが、時には鬱陶しい。
そういうことを街場の大阪人は知り抜いている節があるのではないか。
うどん屋とか食堂、立ち飲み屋や串カツ屋といった街場の気軽な店は、もちろん「一見お断り」ではない。けれども「馴染み」感覚というのはどこでもあって、店でのやり取りを見ていると、ああこの人は毎日のように来ている客だとか、多分近所の人だとか、いろんなことが垣間見える。
こちらもその店に長く通っていて、顔を知ってる仲であるのだが、いわば「いつまでも一見の延長線上にある」ような関係なので、それ以上のことまでには発展しない。
「一見でも馴染み客のように扱ってくれる」というのが大阪の店の良さだということの裏腹には、こういった都会人としての大阪流コミュニケーションの熟練があるのではないか。
「入りやすく出やすい店」だが、それでも「馴染み感覚」がある。
その微妙なコミュニケーション作法が、「知り合いばかりで、みんな良い人おもろいヤツ」の理想の上で、「知り合い」をどんどん増やしていく。それが大阪の商売繁昌というものの本質なのだろう。