第4話「再スタートを切ろうとする女川町」

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7月16日(土)〈晴れ〉

■日本有数の漁港を持つ女川町の被害。

この日の午前中はT医師が診療担当のため、私とF看護師、U薬剤師は女川町の視察に行った。午前7時45分に松島の宿を出発。週末の朝の道路は平日のような混雑はなく、石巻河南ICまでスムーズに移動することができた。石巻市内から女川町へは、海沿いの国道398号線を北上していく。

途中で診療所にいるT医師から電話連絡があった。我々が使用しているワンボックスカーの中に、大阪から東北に持ち込んできた医療品のストックがある。その中から点滴用のルートを診療所へ届けてほしいということだった。この日も相当な暑さのため、点滴による水分投与が必要な患者が診療所へ来た時の備えである。湊小学校は女川町へと続く国道398号線沿いにあるため、途中で小学校に寄って診療所に点滴ルートの補充をした。

石巻湾を通り過ぎて一度内陸部に入った後は右手に万石浦が見える。ここは石巻湾に対して狭い入口の開いた内海で、もともと海苔やカキの養殖が盛んな場所である。海への入口が狭いことから被害が限定的だったようで、現在もたくさんの養殖用の筏が並んでいるのが見えた。

石巻市街地から万石浦、そして女川

石巻市街地から万石浦、そして女川

万石浦の内部。震災後の現在も養殖が行われているのが分かる

万石浦の内部。震災後の現在も養殖が行われているのが分かる

湊小学校から30分ほどで、女川湾に入った。平地が小さいためか、がれきの撤去は南三陸町と比較して進んでいる印象だが、こちらは大きな建造物の損傷が目立った。

女川湾の西側。横倒しになったビル(町立病院の高台より)

女川湾の西側。横倒しになったビル(町立病院の高台より

女川町は人口約1万人と、南三陸町(人口約1万7千人)と比較して小さい町だが、漁港設備は南三陸町の志津川漁港よりも規模が大きく、第3種漁港(利用範囲が全国的なもの)に指定されている。志津川漁港は第2種漁港(利用範囲が地元漁船を主とする第1種漁港と、全国的な第3種漁港の中間)である。高台に続く坂道があったので上って行くと、そこには女川町立病院があった。

町立病院の高台から、女川湾西側を望む。がれき撤去がほぼ終わり、かつて住宅地であったと思われる場所はほぼ更地になっている

町立病院の高台から、女川湾西側を望む。がれき撤去がほぼ終わり、かつて住宅地であったと思われる場所はほぼ更地になっている

7月27日現在の女川町の被害状況は以下のとおり(宮城県ホームページより)

死者数:520名
行方不明者数:416名
避難者数:625名
避難所数:10箇所
住宅・建物被害:3263件

女川町立病院の外観

女川町立病院の外観

女川町立病院は外観が新しく、町のサイズと比較して規模の大きな病院である。人口に対して漁港設備が大きいこと、そして東北電力の女川原子力発電所も有していることから、税収に恵まれた自治体なのかもしれない。外から見る限り、この病院は津波被害を受けていないように思われた。しかし、トイレを借りようと玄関から建物の中に入ると、外観からは想像もつかない病院内の被害状況に驚かざるを得なかった。

女川町立病院玄関ロビー。床一面にブルーシートが張られている

女川町立病院玄関ロビー。床一面にブルーシートが張られている

1階ロビーでは5、6人がチームになって、被害備品の後片付けを行っていた。中には外国人ボランティアと思われる男性の姿もあった。この病院の被害状況を知らなかった私は、撤収作業中の男性に大阪からの医療支援チームであることを伝え、被害状況の説明をお願いした。暑さの中、撤収作業に従事する人たちの邪魔をするのは気がとがめたが、外観からは決して想像のできないこの病院の被害の全容を聞かずにはいられなかった。

幸いにして、私が声をかけた男性は一人の女性に引き合わせてくれた。病院総務課の伊藤さんである。女川町役場の職員である伊藤さんは、震災前からこの病院に出向しているということだった。説明によると、女川町立病院は高台に立地しているにも関わらず、1階フロアまで津波被害に遭っていた。石巻にしても、南三陸町、そしてこの女川でも、平地での津波被害は、波だけではなく同時に押し流されてくるコンクリートや石、倒壊家屋、船舶、自動車、そのような物の激突による物理的な損傷がきわめて大きい。しかし、女川町立病院は高台に立地しているため、おそらく物の激突ではなく、水による被害が主だったのだろう。それで、外観上はそれほど大きな被害がないように見えたのだ。

海側から望む町立病院。低地は津波被害で跡形もない。この病院の1階部分まで津波被害があった

海側から望む町立病院。低地は津波被害で跡形もない。この病院の1階部分まで津波被害があった

伊藤さんの話によると、当時入院していた患者は上層階に逃げたため犠牲者は出なかったが、病院の南西側(海に少し近い)に併設している療養型病床群に入院していた高齢者が、逃げ遅れて2名犠牲になった。病院1階の医療機器、眼科や耳鼻科外来の検査機器、CT、MRI、X線撮影装置は軒並み全壊である。

病院1階にある栄養課の厨房施設。鏡に線が入っているところまで津波が来た

病院1階にある栄養課の厨房施設。鏡に線が入っているところまで津波が来た

津波の運んだ水、土、ゴミで再稼働が不可能となったMRI

津波の運んだ水、土、ゴミで再稼働が不可能となったMRI

津波によって破壊された外来待合室の壁

津波によって破壊された外来待合室の壁

病院は、現在も10名程度の入院患者を受け入れつつかろうじて診療を継続している。2階部分に仮設の外来診療ブースを作り、そこで外来患者の診療も行っているということだった。

女川町立病院は医師の安定的確保と経営再建のため、病院指定管理者として自治医大系の公益社団法人「地域医療振興協会」を選定し、この4月から経営を移管する予定だった。しかし、東日本大震災の影響でその業務移管は半年間延期された。この10月から女川町立病院は、再スタートを切る予定である。

被害状況を詳しく説明してくださった後、伊藤さんはこの地域の新しい医療構想について語ってくれた。

「高齢者率が30%を越えており独居老人も多いこの地域では、医療者が病院で患者を待ち構えているだけでなく、すすんで患者のもとへ出向いて行かなければなりません。状況は本当に大変ですが、この小さな町だからこそできる、医療、福祉、役所が一体となった新しい医療システムを作ります。これまでの全国の皆さんの支援に本当に感謝しています。きっといい町になります」

力強い言葉だった。

女川町立病院の伊藤さん。奥の方は事務長さんである。手前のキッチンカーは阪神大震災でも活躍した。中には充実した厨房設備が搭載されている

女川町立病院の伊藤さん。奥の方は事務長さんである。手前のキッチンカーは阪神大震災でも活躍した。中には充実した厨房設備が搭載されている

■仮設住宅。被災者の入居がなかなか進まない理由。

石巻市街までもどって昼食をとり、午後からは湊川小学校診療所で診療を行う。午前中は熱中症疑いの患者さんが1名来た。幸い軽症でありイオン飲料の経口摂取で対応できたということだった。

午後は、避難所内で生活している70歳代の男性が来室した。口腔粘膜に発疹があり、4月からこの診療所に時々診察を受けに来ている。皮疹の様子と降圧薬の内服をしていることから、薬剤性の扁平苔蘚と診断されていた。

降圧薬の変更と、以前この診療所で処方を受けた薬を塗ることで口腔内の皮疹は改善したが、下唇のかゆみと皮疹が続いているために来室した。口の様子を見ると、粘膜面には異常がなく、下唇の左側がやや腫れており、小豆大で中心部がうす赤く染まる平らな発疹を認める。診断は扁平苔蘚で間違いないものと思われた。口腔内の病変は、以前診療所で投与された軟膏で改善したということで、現在は薬は使用していない。下唇の皮疹に塗ってもらうものとして、ステロイド剤の軟膏を処方した。

「昨日、仮設がようやっと決まったんだけどな」

U薬剤師が薬を渡すと、老人がそう言った。こちらから尋ねた訳ではなかったが、老人はゆっくり話し始めた。

「仮設当たったの二度目なんだけどな、一度目はほれ、あんまりに不便な場所だから断ったんだ。でも、二回目も断るってもの良くないなあと思って、昨日下見に行ってな、決めてきた」

「仮設の場所、かなり不便なんですか」

「不便も不便、大変だ。家も流されたけど、車も流されたから。津波収まってから流された車探しに行ったら、墓石の上さ乗っかっててな。もう処分してもらったけどな。やっと中古車、買ったんだけんども。まあ、車あっても、あそこは大変な場所だなあ」

「仮設住宅への入居が進んでないみたいですけど、やっぱり不便なところ多いんですか」

「不便だなあ。民間のアパートも探したけど、人の足下みて値上げしてんだ。だいたい普段より二万ばかり高いんでないかな。普段6、7万円の物件が、2万くらい高い。足下みてんだよ」

「そりゃひどいな。どの辺りですか」

「(三陸自動車の)インターチェンジの、あれよりも少し先のあたり」

「この診療所は明日で閉まるけど、この後血圧の薬をもらう病院はもう決めていますか」

「いや、まだなんだよ」

老人には、現在使用している薬剤を記載した紹介状を渡した。仮設住宅への入居が思うように進んでいないというニュースは被災地入りする前から聞いていたが、その原因がよく分からずにいた。NHKのラジオ報道では、震災関連業務を多く抱えた自治体では、仮設住宅への入居調整にまで人員を割くことができず、思うように入居率が上がっていないという説明をしていた。7月9日付けの毎日新聞の報道によると、7月1日現在で

岩手県:仮設住宅/9919戸/入居率72%
宮城県:仮設住宅15756戸/入居率61%
福島県:仮設住宅9212戸/入居率60%

となっている。

石巻市周辺の様子を見ていると、所々に仮設住宅は建設されているが、見るからに不便な場所に立地したものが多かった。診療所に来室した老人のように、仮設住宅への入居を考えている被災者は多くの人が家とともに自家用車も失っている。

避難所では食事の提供を受けることができるが、仮設住宅では食事の用意は自分でしなければならない。元々、他の土地に移り住むことが難しい老人が避難所に残っているケースが多く、これらの人たちが利便性の低い仮設住宅への入居を渋るのは当然のことである。

湊小学校避難所は比較的人の出入りの多い場所に立地していることから、仮に避難所内の診療所が閉鎖しても、通院が必要な被災者にとっては(少なくとも仮設住宅よりは)便利である。食材や食料の宅配サービス、病院通院バスの導入、保健師や医師の訪問診療体制の整備を進めなければ、被災者の仮設住宅への入居は進み難いだろう。

避難所は立地としての利便性はそれなりにあるとしても、本来人間が住む場所ではない学校の教室や体育館である。7月の現在は高温による熱中症や、食中毒が危惧されるが、東北の厳しい冬を迎える前に、高齢者を中心としたサポート体制を確立し、速やかに仮設住宅への移動を進めてほしい。この日の患者数は10名だった。

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